7月21日のまちづくりを考えるつどいでの、ある住民の報告を紹介します。

東中野のまちづくり これまでの経緯・現状と問題点
2008年7月21日
 
 2008年3月に中野区は「東中野駅周辺まちづくり」調査概要書というものをまとめました。

 まず報告書を読んで、そのあまりに酷い内容で驚きました。なぜこの時期にこのようなものを作ったのか理解に苦しみます。そこでその内容に入る前に、このようなものが出されるまでの、ここ5、6年ほどの東中野のまちづくりの経緯や動きについて順を追って整理してみます。
 
 ところで、「まちづくり」という言葉を聞くと、大抵の方は前向きに好意的に受け入れると思います。確かに「緑のまちづくり」とか「暮らしやすいまちづくり」とか「安全なまちづくり」といえばだれも否定はしないでしょう。
 
 ところが、この「まちづくり」という言葉の解釈が、行政や土木・建設・不動産業者が考えているまちづくりと、一般住民がイメージしている意味とだいぶ開きがあるように思います。

 行政やデベロッパーはまちづくりというと都市計画や再開発、道路や建物を作ったりという、いわばお金のかかったハード面を指し、一方の住民はどちらかというと、そこに住む人々がいかに心地よく豊にすごせるかといったことを考えたり、活動したりといった、どちらかというとソフト面をイメージしているのではないでしょうか。
 
 同じ「まちづくり」という言葉の意味の取り方があまりにも違っていて、行政やデベロッパーなどと住民とで話がかみ合わないということが起こるのも、このあたりにも起因しているのではないかと思います。
 
 もともと、中野区内各所には地域住民の自主的なまちづくり活動が盛んに行われています。区にも以前「まちづくり公社」という組織がありました。住民の自主的なまちづくり活動を支援したり、区内の活動団体の交流の場としての役割も担ってきました。また大学の研究室ともパイプがあり、学生の研究と地域との橋渡しなども行ってきました。

 しかし、田中区長の時代になって「まちづくり公社」は廃止され、まちづくりに詳しい職員も他の業務に回されて、住民の自主的なまちづくり活動と区との連携が希薄になってきました。
 
 地元、東中野のここ5,6年に起こった具体的な事例を挙げて説明したいと思います。
 
 2002年の事ですが、現在では拡幅工事が終わった4丁目の山手通りの歩道部分の基本設計が始まるという情報を区から聞かされ、東中野住区協議会とまちづくり活動をしていた東中野元気塾のメンバーが中心になって、周辺の住区や町会、住民に呼びかけ、東京都・首都高・区との協議会を設立しました。

 現在見られるような自転車道と歩道を緑地帯で完全分離した案を提示し、植栽の種類から路面の材料、街路灯の選定まで、ほぼ100パーセント、住民の意見が反映された形で実現できました。最近、自転車の歩道通行禁止が打ち出されましたが、それにも対応した先取りした形で、住民と行政が連携して非常にうまくいったケースでした。
 
 ところが、今お話した先行整備区間の次に施工された駅に近い部分は、住民が関与しないとみるや、自転車との完全分離が不十分になり、先進的な歩道のあり方だったのが後退してしまいました。どうも行政は住民が見ていないと、自分達のやりやすいように仕事をしてしまうキライがあるようです。
 
 次に2004年、東中野駅西口広場の検討委員会というものが今度は区が主催して委員が集められました。住区協議会、町会、商店会だけに絞ってメンバーが集められ、地元で自主的なまちづくり活動をしている人たちや、西口に面して商売をされている方たちもカヤの外、という偏ったメンバーの集め方でした。これに対しては区長宛て要望を出しましたが、結局限定された直近の方だけ出席を許され、その他の住民は傍聴しか認められないという形でした。
 
 果たして、協議が始まってみると、すでにコンサルによる絵が出来上がっていました。それはバスロータリーとタクシープール主体のもので、住民側の思い描いていた、人々が集まれる広場や緑地が殆どないような案でした。一時間に数本のバスのためにロータリーを設置するのはもったいないので、少しでも人のためのスペースを確保するよう意見が出されました。

 しかし、住民の意見は全く無視され、形だけの住民参加でいわばアリバイ作りに住民を動員された形でした。
 
 実はその前の2002年から2003年にかけて中央線の桜の土手をJR東日本がコンクリートで固めようとしたことがあります。この時は町会、商店会など地域住民は桜を守ろうと立ち上がりましたが、なぜか中野区はJR側にまわって住民を力づくで押えようとしました。新聞2紙にもとりあげられ、住民は国土交通省にも行って、桜の保全が可能な工法にするようJRを指導するよう申入れ、その活動の結果、現在もあの桜並木が維持されているのです。

 地元行政が地域の環境を守れなかったどころか、環境悪化に手を貸す格好でしたが、なぜ中野区が頑なにJR側にたったのか、当のJRも変に思ったことと思います。
                        
 どうやら、この頃から田中区長は住民を無視し、事業者側にたったたやり方が顕著になってきたように思います。その最大、最悪のケースが日本閣の超高層マンション2棟です。本日、この場に入居されている方が、もしいらっしゃるようでしたら、気分を害されるかも知れませんが、経緯だけでもお話しておいた方がよろしいかと思います。
 
 日本閣のあった場所は商業地域に指定されていて、北側には住宅や幼稚園、学校があり日影や交通など環境上の問題はあるものの、法的には高層ビル1棟までは建設可能なところです。では、なぜ2棟建っているかというと、道路の拡幅許可を申請して敷地を二つに分けたからなのです。
 
 通常、自分の家の前だけ道路を広げるということは不可能に近いことです。このケースでは開発許可という手続きを中野区に申請し、それに対し区長が許可したものです。開発許可というのは、例えば密集市街地を区画整理して再開発したり、郊外の大規模な敷地で土地の形状を変更したりする場合に行われるものです。

 通常、申請してから許可が出るまで、どんなに早くても1ヶ月は掛り、数ヶ月掛ることも普通のものです。この日本閣のケースでは僅か一週間という異例のスピードで区長は許可を出しました。(2004年)
 
 ところが、道路を拡幅される近隣の人達には、このような地域にとって大変重要な情報が何も知らされていませんでした。このデベロッパーは三井不動産という区外の業者です。
 
 中野区という地域行政が地元区民のことまったく無視し、特定の事業者に有利な許可を与えるという、普通では考えられない状況がありました。そして、追い討ちをかけるように、駅からのブリッジ建設の許可も、地元には内緒で秘密裏に出すということまでしています。
 
 この3月まとめられたという「東中野駅周辺まちづくり」調査概要書も私達地元住民はつい最近に知らされました。いつのまにか専門家と学識経験者だけによる、住民参加ゼロの研究会、とやらが集められていたようです。
 
 この報告書を読み出すとおかしな点ばかり目に付き、何の目的で800万円も掛けたのか、こんなものを作成するのに800万も掛るのか、サッパリ理解できません。
 
この中には
・住みやすく定住を促すまちの実現などと書いておきながら、ではなぜ東中野小学校の廃 校を住民の意見も聞かず決めてしまうのか。
・商店街の活性化が必要なら、なぜ日本閣の商業施設や駅からのブリッジを、地元の意見をなんら聴取する機会もなく許可したのか。
・環境にやさしいまちづくりと言っておきながら、なんの条件も付けず超高層建築を許すのか。
とか、区長の住民軽視というより住民無視、業者重視ぶりがこの報告書からも読み取れます。この報告書がこれからのまちづくりに、何の役にも立たないばかりか、むしろ地上げ業者などの格好の道具に使われないかと危惧しています。
 
 行政の好きな言葉に都市計画というのがありますが、これの基本はエリアごとに土地の目的や用途を定めることから始まります。東中野は住居を主体とした地域であり、それを支える商店とがバランス良くまちを構成していましたが、徐々に増えていった大規模店のために商店街は壊滅状態で、この期に及んで商店街の活性化を区がうたっても遅きに失したと思います。
 
 所詮、東中野が商業・業務地域を目指すのかと言えば、これもまた難しいでしょう。このままでは、住居系とも商業系とも言えないどっちつかずの荒れたまちになってしまいます。高層住宅を誘致しておいて保育園や学校を無くすのでは、余りに無節操な話で、新たな住人だって驚いていると思います。
 
 子どもを産んで、育てていくということは、人間として最も基本的な営みであり、喜びのはずです。そして、それはまちづくりの第一歩だと思います。その大事な第一歩を否定しておいた人達に、安易にまちづくりという言葉を使わないでほしいと思います。

 まちづくりの重要な中心でもある学校を安易に廃止してしまう区長や区議会議員がいては、とてもまともなまちづくりなど実現できません。むしろ統廃合すべきは区議会や教育委員会ではないでしょうか。
 
 若い家族がいなくなった「まち」ほど、寂しいものはありません。まちの発展とは高層ビルや商業施設が建ち並ぶことでしょうか。よそから人を呼び込むことでしょうか。そもそも発展していくことが大事なことなのでしょうか。今までのままでいい、ゆったりと暮らしたい、ということでは何故?いけないのでしょうか。

 そのような議論を、まずしていくことが大事で、みなさんの合意が無い段階で、最初から作文や作図を出してはいけません。
 
 最後に、「まちづくり」とは行政から与えられるものではなく、地元住民が主体になって考え、それを行政がバックアップする、というのが望ましい姿ではないかと思います。今日の状況を見ると、中野区のまちづくり行政が何十年も後退しているように思えてなりません。

 地域に保育園や幼稚園があり、学校があってこそ住みやすい「まち」であり、次代に引き継がれていく「まち」と言えるでしょう。次代を担う子どもたちを安全に、健やかに育てることこそ、まちづくりの基本ではないでしょうか。
 

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